創業期③ 〜あかぼし~

日々駅裏いっとくが忙しくなった頃、ケンゴに紹介され仲良しになってた広島で雑貨店を営んでた「堀田さん」が入社する事になる。

白木屋の店長まで登り詰めた経験のある堀さんは尖りまくっていて、No.2の座をケンゴと言い争って「山根君、ハッキリして欲しい!」などとよく言われたモノだ。

他にもやまねこカフェ初代店長「エツヨ」、三原でねんじを経営する「コバ」、海物の「斎藤くん」など個性的なメンバーの集まりで尾道の繁盛店の一角であったろう。

が、福山大学生だった「コバ」がバイク事故してから事態は一転する。
「アルバイトを続けられない」とのこと。
どうやら、大学にも行ったり行かずで挙句の果てに事故…お父さんもついに怒って、大学も近い松永で独り暮らしをしろ!と通達があったのだ。
流石に電車で尾道までのアルバイトは難しい。

それなら…と、二階に改装を機に繁盛していた我々は、次のお店もアリではないかと目論む事になった。

ただなんとなく松永へフラフラと物件を見に行ったところ、元々中国新聞の事務所だった場所。
つまり今のあかぼしの物件に貸店舗の看板がかかっていた。

不動産に問い合わせさっそく中をみると広いのなんの。
が、まだまだ法人化もしていない弱小零細企業の我々にはお金も、人脈も、知識もない。
どうしたものか?と、ケンゴのツテを辿り、広島でデザインをしている山下君とイメージを共有しながら図面書いてもらって…試行錯誤しながら素人ばかりでお店をつくった。

解体工事も大工さんと二人きり。
あれから店づくりの基礎を築いていった様に思う。
やりながら計画もどんどん変わってゆく。あかぼしは天井をぶち壊したら結構屋根が高いぞ!ってなって、壊しながら中二階を作ることに決めたんだから(笑)

一階の天井高に配慮しながら、山口県の山賊をイメージ、コタツを囲んで七輪で焼く牡蠣や和牛肉がテーマだったか。

排煙設備もない店内は毎日酷い煙だったが、他にはみられないスタイルを確立させたと思う。

短期間でホントに毎日ウェイティングの出来るようなお店へと成長させたんだから。