成熟期③ 〜百菜と天下ばし〜

二〇〇八年〜二〇〇九年は激動の年であった。

というのも二〇〇八年は会社としては初めてとなる「御調ふれあいの里」という温泉施設内に「百菜」という飲食店をオープンしたのだ。

あまり流行っていなかった食堂をお風呂上がりのお客様に楽しんでいただけるように、うどんを中心としたお食事処に変更した結果、そこそこ流行りおかげさまで利益も上がった。…が翌年、ちょうど一年運営したのち我々はお店を譲り退店する事となった。調子も良かったので残念であったが、続け様に「拾園ポッポ」も閉店へ💦

四年半の営業をする間で赤字を重ねていたのだ。が、今でもよく話すがあの拾園ポッポは本当に素晴らしいお店だったと心から思う。昔書いたが、欲をかいて二階までお店を改装してしまい大型店にしてなければ…今でもノスタルジックなステーキ屋の面影を残し、今ではつくり出せない最高にカッコいいお店として存在していたかもしれないなと。

あのお店に憧れて入店した…とも、ゆうや店長からこの前聞いたしな。

 

ポッポ閉店の後、意地になってオープンしたのが「百酒錬磨 天下ばし」だ。

ココも大変だった思い出の方が強い。

ハード…つまり内外装は想いの込もるいいお店となった。

内装に使った木材は天宝一さんより昔の酒樽の素材を提供して頂いた。

日本酒の木製看板や坂本龍馬の掛け軸など、お酒や福山に関するものをかき集めた。…が、これぞというお店のテーマが最後まで決まらない。

というより、お店の名前さえギリギリまで決まっていなかった💦

工事中切羽詰まり、二階から(店名どうしよう…)とふと外を眺めてた時、バス停に書いてあった名前が目に止まる。

そこに「天下橋」と書いてあったのだ!そこにピンときた僕はすぐに図書館に走り、天下橋の由来を調べてみたところ、まさにお堀だったお店の目の前に豊臣秀吉公から献上された殿下の橋→つまり天下橋がかかっていたことを知った。

それからテーマも「漢らしさ」を加え、金の甲冑を用意したり、ひょうたんのお皿を用意したり、入り口を太鼓橋に!と急に工事を変更し、こだわりが強すぎて設計業者を随分泣かせたな。

ソフト面では、料理やお酒、サービスとのバランスが中々取りづらかったお店だった。店長も随分変わった。

ずいぶん鳴かず跳ばずで時間も手間もかかったお店だが、今や過去最高売上も叩き出し繁盛店へと歩み出している事。

ホントに嬉しい!続けてよかった!

どんなに良いモノだと自分で思っていても、継続してゆくには色々な要素が必要なんだ。

結果…無くなることだってある。

拾園ポッポの二の舞いにならなかった事が何より嬉しい。

また天下ばしという存在が街に小さな歴史をつくってゆくだろう。

振り返れば、まさに会社が成熟期を迎え、経営者として【ビジョン無き歩み】を進めていた時期ではなかったか?

だが、もちろん後悔はない。

コレも含めて「今」があるだけだから。