二〇一四年は出店ラッシュの年であった。
僕が小学生の頃から亡くなった親父に連れられてしょっちゅう通ったお店が「鳥徳」だった。店名の通り焼き鳥屋で、とにかくタレが美味しくてね。
成人してから鳥徳のマスターから聞いた話だが、生前ウチの親父が鳥徳タレのレシピを「百万円で売ってくれ!」と懇願してたらしいがマスターはガンとして教えなかったという。
小学生の僕達兄弟にとって、親父からの「今日は鳥徳行くど!」という声がけは飛び上がる程の喜びだったなぁ。
ある日、いつもの様に鳥徳で「とり皮タレ」をアニキと二十本以上頬張った後、外に出たら土砂降りで💦親父とおかんとアニキと四人で走ってタクシー乗り場へ向かったのだが、あり得ない程の行列でね。小学生ながら(あぁ、このまま朝まで雨に打たれるんか…)と、絶望感を味わった事を思い出す。まぁ、親父が何とかして帰ったんだろぅが…
そんな肩がぶつかるほど賑わい、思い出溢れる飲屋街「新開」で三十五年営業する鳥徳のマスターからある日電話があった。
「山根くん、お店辞めるんよ…やってくれんかね?」と。
はじめは断った。そんな歴史溢れる老舗の名店を、自分が引き継ぐなんて…と。
けれど、二度目の電話を頂いた時には、
「わかりました。けどやるなら、内装も、電話番号も、箸袋も、屋号も変えませんよ!あ…後…タレもよかったら…💦」
と、伝えたところすべてをそのまま快く譲り受けさせて頂いたのれんもそのまま…って事は、リアルに暖簾分けと言っていいだろう。
初代店長の「はぁさん」から、今はいっとくで十八年共に働き続ける「堀さん」へとバトンタッチ。
十席ほどのカウンターと四席の小上がり…小さなお店だが、あの頃から座っていたカウンターの椅子に座り、素朴なとり皮タレを頬張るのが僕のささやかな喜び。
きっと先代からの常連さんも喜んで頂けているだろう。
この小さなお店が今でも売上を伸ばし続ける理由は、堀さんの人柄と名店を名店として残し続けようとする強き想いである!とココに記しておきたい。