924のトラブルがあっても出店する事はやめなかった。
物心ついた時から福山で遊びまくっていた自分は、既に馴染んでいた福山街中での出店を決めた。
決め手は、仲良くさせて貰っていた飯田さん率いる「BLUE DOG CAFE」の閉店にあたり、お店を買取らないか?という誘いからだった。
元々鉄板業態であったその店は、いっとくで培ったノウハウを発揮するのに適したものだったし、改装費も安く済む。ただ働く人の問題だけであった。
そこで思い付いたのが古着屋時代から繋がりのあったJNK=つまり、純ちゃんの存在である。
同時大手古着屋の店長であった彼女が、その時点では居酒屋でアルバイトをしていると噂を聞いていた。
誰と行ったか覚えてはいないが、働く居酒屋へ押し掛けて行き、
「今度福山で居酒屋出店するけぇ一緒に働こうや…。
と、まるでヘッドハンティング的な行動を起こし、結果的にはオープ二ングスタッフとして共に働く決断をしてくれた。
CAFEから居酒屋へと変貌させる為にお金をかけず自分達で工事して…
おいらとJNKとケンゴの3人体制でのオープン。
屋台の雰囲気をイメージして、元気一杯に営業を始めたそのお店こそ「ばくだん酒場」である。
日々忙しく過ごし同時の福山には無かったお店だったろう…繁盛店と言って良かった。
初めての福山進出だけに、福山の数々の先輩飲食店に顔を覗かせ「ばくだん酒場をよろしくお願いします」と頭を下げてまわったと記憶する。
だから繁盛店に繋がった事は偶然ではない。(あいつの店行ってみてやるか…)と皆様に可愛がって頂ける活動を、絶やさずしていた結果なのだと今でも思う。
今の一・二階の売上を一階だけで叩き出していたといえば忙しさも伝わるか?
夜中、尾道までの帰宅運転中、何度眠気に襲われたことか…。
その後、あかぼし勤務だった堀田さんも移動してばくだんで働く事になり、鹿児島出身を生かそう!ってんで福山で一番の焼酎の品揃えにしたんだった。
今や福山飲食店を代表する「ぐんけい東森よっちゃん」も、焼酎ブームになる頃興味をもちウチへ立ち寄っては堀さんとの焼酎談義に花を咲かしてたのが懐かしい。
だから彼の成功は、ばくだん酒場無しには語れない!って言えば大袈裟か!?
気づけば福山でヨソとは違う「話題の店」となった事は間違いないはずだ。